スパイダーウェブ
2007-07-01
天気のすぐれない日が続きますが、今朝は霧雨が降っており、アトリエ周辺ももやがかかったようになり、木場潟湖畔が、かすんで見えました。
こんな日は、いつもと違う表情があるとカメラを持って出かけると、
的中、キラリとした宝石の数珠のようなものが、目に入りました。

霧雨の水滴がクモの巣に付き、水滴の数珠ができていました。

水滴の重さでクモの巣のネットが垂れ下がり、宝石の胸飾りが木に飾られたようです。

クモの巣を英語でスパイダーウェブといいますが、
クモの糸が美的にはりめぐらされ、まさしく、水滴のWEBです。

普段は、クモの巣を見ると、いやな気分になりますが、
今朝はアートとしてみることができ、ラッキーでした。

もう少し、水滴が大きくなると、スパイダーウェブは破れ、壊れていくでしょう。
風に揺られる、水滴の数珠はとてもきれいでした。
雨の日も、周りを注意深く見ると、いつもと違う何かを見つけることができるかもしれない。
合歓の木
2007-07-02
7月に入り、木場潟湖畔で目立つ木は、合歓の木です。花の形は、われわれが普段思っている花の形とは違い、フワッとした花を咲かせています。
帽子や胸に付ける飾り物のように見えるし、女優グレタガルボのまつ毛のようだという人もいる。



よく見ると、一つの花は、十数個のツボミから何本もの花が伸びて、一つの花を作っています。

花の根元は白く、先に行くにつれ濃いピンクになっているので、フワッとしたように見えるのでしょう。


木場潟湖畔の合歓の木の下で、湖畔に向かって本を読んでいる女性がいました。
静かな時間を過ごさせてくれる、合歓の木です。
先日、日曜美術館で「ねむの木学園の子供たちの絵」の放映を見ました。
絵の具の色の中に世界を想像する子供たちに、涙しました。
梯剛之さんもそうですが、何かが不自由ならば、別の何かで表現するという、人の個性の素晴らしさを感じます。
それと、新しくできた、「ねむの木こども美術館-どんぐり」(藤森照信設計)へは是非、足を運んでみたいと思います。
(もう一つの美術館は、坂茂設計で、これも良い!)
実を付け出した。
2007-07-03
以前に紹介した、ももの樹や梨の樹が実をつけだしました。思えば、ほんの少し前に花を紹介したと思っていたのに、時間がいつの間にか経ち、実をつけるまでになりました。

昨年、Hさんのガーデンから譲り受けたももの樹に、3センチくらいの大きさのももの実が付き、どうやらアトリエに根付いてくれたようです。
「もも栗三年」と言うが、2年目にして実を付け嬉しい。
実の形や、産毛?の表情は、熟した果実のようにもう出来上がっている。

ももと同じように、小さな形であるが、もう梨の顔を持っている。
梨の実は、毎年、熟した頃を見計らい、カラスやムクドリがうまい具合に食べていくので、残念だが美味しい実は口にしたことはない。

小さな花を沢山付けていたエゴノキにも可愛らしい実が沢山ぶら下がっている。
このような、花や実を見ていると、われわれの日々の生活の傍らで、木々たちはゆっくりと確実に成長している。
これからの人生も樹のように、静かに花が咲き、実が熟すようになりたいものだ。
朝もやかかる木場潟。
2007-07-04
木場潟の風景は、白山や、近くの山々を背景にして紹介されることが多いです。「初めてのブログ」「澄んだ朝」「春の木場潟風景」
今朝は、木場潟全体に朝もやがかかり、湖面と湖畔だけしか見えない、静かな風景でした。

木場潟に架かる五郎座橋から見た、朝もやかかるし~んとした木場潟。
今朝は、鳥の姿もなく、湖面と湖畔だけの静まり返った時が流れてゆくようです。

突き出た湖畔は、まるで浮いた島のように見えます。

対岸の樹木も、今日はかすか影にしか見えません。

周辺の田んぼも、湖畔の連なる木々と田の緑だけの、かすんだ風景を見せていました。
いつもなら、白山や、鞍掛山を背景に心躍らし木場潟を望むのですが、こんな朝もやのかかる何もない風景もいいものです。
自家菜園
2007-07-05
アトリエの近くには、自家菜園をされる方が多い。春先から、畑を耕し、肥料を与えたり、雑草取りや害虫駆除をしたりで、毎日手入れがかかせない。
その甲斐あって、茄子や、キュウリ、かぼちゃの収穫の時期が近づいてきたようだ。


茄子の柵を見ると、もう収穫してよい大きさになった実が沢山下がってきている。
子供の頃、夏の食べ物といえば、「なすび」で、毎日「オランダ煮」か「茄子の焼いた」ものであった。
子供の頃は、茄子は美味しいとは思わなかったが、大人になり、茄子のうまみがわかるようになった。
というより、茄子料理のレパートリーが多くなって、楽しめるようになったからだろうか?


キュウリも、収穫の時期が近づいてきたようだ。
スーパーなどで売られているキュウリは、まっすぐ棒状であるが、
自家菜園のキュウリは個性があって面白い。
同じキュウリなのに、形がイビツなだけで、出荷されないキュウリが可愛そうだ。
この子は、スーパーに出荷されることがないので、曲がっていても美味しく食べてもらえそうだ。
よかったね!


かぼちゃの実も、大きくなってきている。
ももや、梨の実は、花が咲いて時間が経って実をつけるが、これらの野菜は、花を付けたまま、実となってゆく。
その違いはなぜなのかは、昔習った理科の勉強をおさらいしなければならないようだ。

かぼちゃの葉は、よく見るときれいだ。
大きく、緑がきれいで、このような葉があるから、甘くて美味しいかぼちゃが育つのだろうか。
こんな野菜を見ていると、自分も菜園をしたくなりそうだ。
菜園をされている人に伺うと、ゴルフをするより楽しいらしい。
楽しんで育て、収穫し食べる。
一石二鳥のこの趣味も来年挑戦してみようかな?
梅雨の合間の晴れ。
2007-07-06
どんよりした梅雨空が続いていると、時折見せる青空は嬉しいものだ。梅雨の合間の青空の雲は、大気が不安定なのか、面白い形を見せてくれる。

天気図の前線マークのような帯状の雲。
おそらく、飛行機雲が、気流によって流れこのような形になったのであろう。

雲が波を打っているように見える雲だが、見方によっては、エンゼルの羽のようにもみえる。

トンビも低空飛行し、気持ちよさそうに輪を描いている。
やはり、青い空と、白い雲は、心を晴れやかにしてくれる。
今年の梅雨明けはいつ頃だろうか?
ネジバナⅡ
2007-07-07
TOGOと散歩のとき、TOGOがチョロチョロ動き回るせいか、地面に生えている草花がよく目に入る。以前にも紹介したネジバナもそうである。今年は、木場潟湖畔の舗装脇、緑地の草刈の回数が少ないのか、ネジバナがやたら目に付く。
ネジバナは、よく見ると巻き方がいろいろ合って面白い。

たいがいのネジバナは右巻きであるが、左巻きのものもある。
左巻きのものは、右巻きのものとペアとなっているものが多い。

巻き方の回数も面白い。
大体は、4~6回ネジているが、このネジバナは、クルクル9回くらいネジている。
いわば、トリプル×トリプルアクセルで、フィギュアスケートに出れば、金メダル間違いなしであろう。

反対に、このネジバナは、サボってのんべんだらり~んと、1回半しかネジれていない。

こちらのネジバナたちは、右巻きやら左巻きやら、のんベンダら~りんやらが絡まっています。
オマケに、ブタクサの茎まで巻き込んで、もう大変。
こんな風に、ネジバナを見比べていると結構楽しめる。
一度、「ネジバナ巻き方コンテスト」をやってみると、面白そう。
でも、ルールは、採って審査するのではなく、撮ったネジバナを審査するのがことが原則。
初夏の木場潟の夕日。
2007-07-09
毎朝、TOGOの散歩ついでに、カメラをぶら下げて、木場潟風景をパチパチ撮っているので、どちらかといえば朝のアトリエ周辺の写真が多い。夕方の風景は、まだ仕事中なので撮る機会が少なく、離れた中央園地や南園地の写真が少ない。
土曜日の夕方、夕日がきれいになりそうだったので、自転車に乗り中央園地へ急いで行ってみた。

真っ赤な夕日ではないが、夕日の光が湖面に映り、キラキラ輝いていた。

湖上の休憩所のシルエットが幾何学に映り、とてもきれいだ。

夕日に照らされ、何でもがきれいに見えるが、夕日がどんどん沈んでゆくので、心が急ぐ。
でも、落ち着いて、パチリパチリと撮らなければならない。

以前に「水面に映るもの」を紹介したが、夕日の光も、水面に映るとまた違って見える。
これから夏に向かい、木場潟の夏の夕日が、ジリジリ照り付ける日が始まるのだろう。
簾戸。
2007-07-10
7月に入り、そろそろ夏の支度をする時期がきた。先日、和室の障子を簾戸(すど)に取り替えた。
子供の頃、学校から帰ると、座敷の建具が簾戸に取り替えられ、部屋の様相が一新した記憶が今でも残っている。外庭の緑がまぶしく、初夏の風がふいていたように思う。

実は、この簾戸は子供の頃に見た、実家の簾戸である。
特別に簾戸に合せて和室を設計したのではなく、昔から決められている、12尺の柱間隔と、5尺8寸の高さを忠実に守って和室を設計したので、昔の建具がそのまま使うことができたのである。
昔の建物の寸法には、美意識と流通性を持っていろんな寸法が決められていて、場所や時を変えてもどこにでも使えるようになっていた。
これは、着物や他の道具にも当てはまることである。

昔の建築を見ていると、身近にある植物や土など材料を上手く使っていることが、簾戸を見ていても良く分かる。
簾戸は、木場潟等の水辺に生えている葦(ヨシ)を使って建具としているが、バラつかない様に、桑の木の横桟で、上手く押さえている。

葦(ヨシ)が下まであると、痛みやすいので、腰板を付け、それに透かし彫りをいれ、遊び心を出している。
畳に映った影は、針穴写真機のように庭の緑がぼんやり映って涼しげである。

もう一つの建具の腰には、波と鳥の透かし彫りを入れ、夏の暑さを視覚的に和らげようとしている。
このように、日本の昔からのものには、簾戸一つとっても、勉強することが、沢山こめられている。
これらを見直し、もう一度設計に生かしてゆきたい。
蚊帳。
2007-07-11
もう一つの、夏のしつらいといえば、蚊帳(カヤ)である。子供の頃、蚊帳には素早くさっと入らなければならないといわれ、緊張して入ったものだが、今も入るときは、蚊と一緒に入らぬよう息を止めて素早く入っている。
蚊帳の中は、なんともいえないスケールの空間を感じ、とても不思議な居心地の場所である。

実は、この蚊帳も、昨日の簾戸同様、実家にあったものを使っている。
思えば、この蚊帳はかれこれ30、40年位経ったものだろうが、ここ10年位の夏には、毎日欠かさず張って使っている。

蚊帳の素材は麻であり、手触りは、ざらざらしており、夏の暑いときには、べとつかない感じで、涼しげである。

なぜだか、蚊帳は、緑色に染められたものが多く、張るとき力のかかる縁(ふち)は、赤い布になっている。

こんなところにも、房飾りが付いている。
記憶では、リングの先に、長さを調整するひょうたん型の赤いパーツがあったが、どうも失ったらしく今は、丈夫な紐を結んで掛けている。
なんという名前かわからないが、どこかにあれば、手に入れたいのだが。

今日もこの蚊帳を張り、耳元でプ~ンと聞こえる蚊の羽音がなく、簾戸から流れる涼風を受け、安心して熟睡しています。
徒然草で兼好法師が「家の造りようは夏をむねとすべし」と書いているように、クーラーのない頃に、夏の暑さに対する工夫をしてきた、昔の日本人の知恵には脱帽するばかりである。
上棟式。
2007-07-13
昨日、Y邸の上棟が、めでたくとり行われました。梅雨の時期であるので雨が心配されましたが、何とか天気も持ち、しっかりした建物の骨組みが組みあがりました。 
上棟がその日のうちに完了するために、前日から基礎の上に土台を伏せ、1階の床根太を敷設します。

上棟朝の最初の仕事は、棟梁が地鎮祭に使ったときの御神酒を柱にかけ、建物の無事完成と工事安全を願います。

いよいよ、レッカー車で梁等の構造材を吊り始めていきます。

架けられた梁を掛け矢で打ち込む大工職人。

ようやく2階の梁が上がり、ちょっと一息つく棟梁。それにしても、あんな高いところに、平気でいられることが凄い。

屋根垂木まで取り付けられ、見上げると、幾何学的に組まれた構造材が、とても美しい。

ようやく、外観の姿が現れてきました。

地鎮祭に御祓いしてもらった神主から受けた、幣串(へいぐし)を屋根裏に奉り、無事上棟の終了。
これから完成まで、無事安全を願いながら上棟の日を終えることができました。
上棟式Ⅱ。
2007-07-14
昨日のブログで紹介した、上棟式の職人さんたちの表情がとても良いので、引き続き上棟式のブログです。建築の設計をやっていると、あれこれイメージして設計することも楽しいですが、
職人さんたちと打合せをしながら現場に出ることも楽しいです。
職人さんは、自分にプライドを持たれ、いい心を持って、いい顔をされている方が多いです。

上棟建方は、いつもグループを組んでいる大工さんたち6~7人で行います。
阿吽の呼吸というか、大声を出すわけでなく、分担された役割を自然な流れで動き回ります。

玉掛けといって、梁などをレッカー車に吊り下げるために、ロープで掛ける役割の人。

取付け金物のボルトを、しっかり留める人。

吊られてきた梁を所定のところへ導く人。
きのこ。
2007-07-15
先日も書いたが、TOGOと散歩していると、地面で色々なものを見つけることができる。梅雨のジメジメした地面にきのこが生えていた。
きのこの種類は全くわからないので、写真だけを載せます。

白くてやや透明感のあるプリーツ状のきれいなきのこです。
きれいなものには毒があるのだろうな?

傘が開く前は、このような形をしていました。

切り株跡に、「さるのこしかけ」のようなきのこが、ボコッと付いていました。

別のところには、マッシュルームのような真っ白なきのこが生えていました。
普段は雑草しか生えていない木場潟湖畔にも、見かけないきのこが、あちこち付けています。
ジメジメした季節であっても、日本の四季の一つだと思ってみれば、きのこの観賞も、悪くはないか。
純白の木槿(ムクゲ)。
2007-07-18
TOGOとの朝の散歩の時、アトリエから木場潟湖畔への入り口に、純白のムクゲの花が咲いていて、ボクたちを迎えてくれる。ムクゲは、朝、花が開き、夕方にはしおれる、1日花であると言われている。

子供の頃街中を歩いていると、垣根の上からムクゲの花が顔を出していた記憶がある。
そのときは、花の中心が赤色だったと思うが、湖畔のムクゲは、純白でとてもきれいである。

また、ムクゲの木は、濃い緑色の葉をしているので、余計に白い花がきれいに見える。

ムクゲの花は、日差しの強いときに咲いているイメージがあるが、
梅雨のうっとうしい季節に、このような純白の花を見ると、爽やかな気分になれる。
こんな花に迎えられ、今朝もTOGOとの散歩で、一日が始まりました。
桔梗のツボミ
2007-07-19
今頃の季節から夏にかけて咲く桔梗の花が、アトリエの庭先の片隅で咲き出した。桔梗は、ひょろ長い一本の茎から次から次へと紫色の花を付け、いつも風に揺られている。

花は、パッと咲いた感じがきれいだが、ツボミも可愛い感じがしていい。

風船のように膨らんだツボミが、パンとはじけて花となったように見える。

よく見ると、花びら同士がそれぞれくっついて、五角形の面白い形をしている。
膨らんだ花びらの中の気体は何であるかな?どんな匂いがするのだろう?か想像も膨らむ。
英語で別名「balloon flower」といわれるようにまさしく、花の風船である。
今日も風に揺らされ、梅雨明けを待つ桔梗の花でした。
お気の毒な名前
2007-07-20
木場潟湖畔や、アトリエには数多くの種類の雑草が生えている。そして、どれもに名前がつけられている。
昨日の桔梗(ききょう)はきれいな音の響くでもあるし、イメージとしてもきれいである。
反対に、気の毒な名前をつけられた草花も沢山ある。

この花の名前は「ワルナスビ」という、北アメリカ原産の、ナスに似た花をつける草である。
茎には鋭いトゲがあり、触れるだけでとても痛く感じる少し迷惑な草である。
そのような事からこのような名前がつけられたのだろう。
「ワルナスビ」とは思い切った名である。

以前にも紹介した「ドクダミ」の花である。ジメジメした日陰の所にいやな匂いを放つ事から、不名誉な名前がつけられたのだろう。
しかし、薬草として用いられたり、どくだみ茶として飲まれたりで、人の役に立っている草だ。
健気な花を付けるドクダミが可愛そうだ。

何年か前から、木場潟湖畔やアトリエに蔓延している「ブタナ」である。
タンポポに似ているので、最初は「タンポポモドキ」といわれ、黄色い花が風に揺られ、見方によっては絵になる雑草であるが、草刈りをする側にとっては、少し厄介者だ。
本種はフランス語でSalada-de-pore(豚のサラダ)といい、直訳して「ブタナ」となったらしい。

この草の名前が、一番お気の毒である。
名前は「ヘクソカズラ」といって、葉の匂いが「屁」や「糞」の匂いに似ていることから命名されたらしい。
しかし、花は釣鐘の形をしていて可愛く、他に「早乙女蔓」(サオトメカズラ)という呼び名もあるらしい。
どうせなら、「早乙女蔓」のほうがよほどいいのに。
こんな様に、一生懸命咲いた花に、人間が勝手に名前を付け、それがこんなお気の毒な名前にされた草たちは可愛そうだ。
今日は、名前を忘れて、花をゆっくり観賞してください。
いい被写体。
2007-07-21
今日のブログは、テーマがありません。先日の晴れの朝、目に留まったものを思わずパチリと撮った写真です。

木場潟には3つ橋が架かっています。
アトリエに一番近い橋は、「五郎座橋」です。
誰もいない橋が朝日に照らされ、セピア色していい感じ♪

湖畔の景色は、葦によって作られているといって良いほど、葦が沢山生えています。
露に朝日の光が当たり、キラキラ輝いています。

くもの巣は、いつ見てもきれいで、上手く出来ている。
蜘蛛やくもの巣は嫌いであるが、くもの巣のデザインは好きである。
こんな梅雨の合間の朝でした。
住宅展
2007-07-23
週末、砺波市で開催された「未来をのぞく住宅展」に参加してきた。この住宅展はASJ(アーキテクト・スタジオ・ジャパン)という全国組織の建築家ネットワークが主催するもので、今回は、「ASJ高岡・砺波スタジオ」が開催した住宅展である。
設計の仕事をしていると、「雑誌を見て好きな建築があるが、直接アトリエに足を運ぶには少し敷居が高く、ためらう。」とよく言われる。
確かに雑誌等の建築情報から、どのようにして設計者とコンタクトをとれば良いか、迷っている人が多いようである。
この住宅展は、この敷居を少しでも低くして、建築家に直接会い、住宅を作るきっかけになればと行われるもので、いわば、建主と建築家のお見合いの場のようなものである。

会場は砺波市「チューリップ四季彩館」で行われました。チューリップ館だけあって、ガーデニングの雰囲気のあるとてもいい会場でした。

会場の中は、参加建築家のブースが与えられ、それぞれの建築家が、自分の建築作品を思い思いに表現して、設計の取り組み方を、説明しています。

私のアトリエのコーナーも、これまで設計してきた住宅の思いを伝えられるよう写真パネルと建築模型を展示しました。
会場には数多くの人が来場され、私たち建築家と話をされていきました。
この中から少しでも多くの方が、自分たちの思いがかなう住宅を建てることができるようにと願っています。
水生植物
2007-07-24
木場潟は、かつて水草が一面に茂り、魚や貝、エビ、カニなど多くの生物が棲んでいたらしい。現在は、動植物が激変し、岸辺には葦ぐらいの抽水植物しか生えていない。
木場潟中央園地に「ほたるの里」という、かつて生えていた蒲(ガマ)など育てているビオパークがある。

フランクフルトかきりたんぽのような形をした蒲(ガマ)の穂である。
かまぼこは、かまぼこの作る過程にこのような形をしていたから名づけられたらしい。

蒲に似た「ヒメガマ」である。
名のとおり蒲に比べ、ほっそり、赤く、やさしい感じに穂をつけている。

この植物は「カンガレイ」という。茎の断面は、へこんだ三角形で、株になって育つ。
このような水生植物は、年々少なくなってきているらしいが、これら植物は水の浄化の働きもする大切な植物である。
木場潟の水質がかつて全国ワースト2位になったこともあるが、多くの人の力でだんだん水質も良くなってきている。
これら植物が岸辺に再び生茂り、自然の風景と、きれいな水のある、木場潟湖畔がいつまでも残されていくことを願っている。
デジタル掛け軸
2007-07-26
木場潟湖畔に20数年前からアトリエを構えていらっしゃる長谷川章さんは、DK(デジタル掛け軸)という手法で、建造物や自然の樹々を、オリジナルの映像で照射し、多くの人に感動を与えてくれる映像作家である。DKの映し出されてきたこれまでの建造物は、金沢城や東京フォーラム、ギリシャのアテネアクアポリス等国内外問わず数多くあり、夜に幻想的な風景を創り出してきた。
また、DKは、長谷川章さんが制作した何万枚にも及ぶオリジナルの映像が時間とともに徐々に移り変わっていく手法で、照射された建造物も伴い、いろんな見え方になる、見ていていつも感動を覚える素晴らしい環境芸術である。

昨日、加賀市大聖寺の菅生石部神社にてDKが行われました。
DKに照射された能舞台と松が浮かび上がってきました。

本殿も映し出され、幻想的な風景になっています。

映像が変わると、雰囲気もがらりと変わり、あちこちで、にわか評論家が感動を語りあっています。

子供にもDKが。
そして、地面には影が。
このように、映し出される建造物などは、遠近と映像の組み合わせにより2度とないDKとして彩られます。
一期一会といいますが、この瞬間、このものは一つしかないことをDKを体験して、改めて感じました。
藤・萩・木槿
2007-07-27
昨年は、暖冬だったのか木場潟の樹々の花の付き方が変である。5月に咲いていた藤の花が、また咲き出したり、秋に花を付けるはずの萩に、半月以上も前から花が付けだしている。

いつもの藤棚の藤であるが、蔓枝を剪定したことで、生育のバランスがくずれたのか、また花を付けだした。
5月の房よりも小振りであるが、花はしっかりしている。
新葉に混じり青紫の花が優しく咲いている。

半月以上前から、萩の花が咲いている。
アトリエの萩の木はまだ葉だけであるが、木場潟の萩はあちこち花を付けている。
萩の木は、生命力が強く、切っても切っても毎年大きくなり花を付ける。
もう少し、ゆっくりと成長してくれるといいのだが。

先日は、純白のムクゲを紹介したが、木場潟湖畔には、赤紫のムクゲが多く咲いている。
藤と萩と木槿(ムクゲ)が同時に咲いている今年のこの季節、何か変である。
山法師の実
2007-07-28
2ヶ月ほど前に山法師の樹を紹介しました。白い十字の花を付ける山法師ですが、緑色した真ん中の所が熟し、実となりました。

緑の葉の中に、赤い実がポツポツつけています。

赤い実は、とんがりのない、赤いコンペイトウのような形をしています。
実は甘くて食べられるようです。

樹にはいろんな形の実がつきますが、甘くて美味しい果実になるものもあれば、鳥の好物になるもの、そのまま地面に落ちるものなどいろんなふうに熟して実となって行きます。
そしてその実の中にある種が運ばれ、次の世代への架け橋になってゆくのでしょう。
落ちた山法師の実が、そのうちに芽を出し育っていくのを、見守ってみようかな?
待宵草
2007-07-30
木場潟湖畔に、待宵草がポツポツと咲き出した。「待宵草」は夕暮れを待って花を咲かせることからつけられた、美しい名前である。
竹久夢二の「待てど暮らせぬ来ぬ人を・・・」の歌は有名であるが、夢二は詞の語感をよくするために字を入れ替えて「宵待草」としたそうだ。

待宵とは陰暦の8月14日のことで、翌日の15日の満月を待つ意であるらしい。

また、別名「月見草」とも呼ばれ、宵にやわらかな黄色の花がフワッとつけるが、早朝散歩のときはまだ咲いている。

昨晩は、まだ梅雨明けしていない北陸の曇り空の間から満月が顔をのぞかせていた。
夏の夜の満月を愛でながら、待宵草のことを書く。
う~ん。なんて風情のあることか。
でも、夢二の詞は、「今宵は月も出ぬそうな」となっている。
セミの羽化
2007-07-31
毎年夏になると、アトリエの周辺では、セミがジージー、ミンミンとうるさく鳴きます。でも、今年はまだ梅雨明けしていないせいなのか、セミの鳴声が弱弱しい。
カンカン照りでないと大合唱がないのかな?
一方で、ヒグラシが夕方になるともう鳴きだしており、どうも季節感が変である。

アトリエでは、アブラゼミが多い。
近づいてみても気にすることなく、鳴いている。

抜け殻が、いろんな所に、沢山残っていて成虫となって飛んでいったようである
物干用のロープに残った抜け殻。
地面からは結構の距離にあるところに残っている。
歩いてきたのだろう。

桑の木に数多く抜け殻がある。

抜け殻の抜け殻のように、2つくっ付いて残っている。

夜、懐中電灯をもって桑の木を見てみると、脱皮中のセミが目に止まった。
かわいそうだが、小枝ごと切り取り、台の上で撮影。

なんとも愛らしい目をした脱皮したばかりのセミ。
羽は小さく、まだみどりいろ。
いわば、セミのセミ。

早朝、見てみたら、もう成虫になっていた。
セミは、5~7年くらい土の中で生活し、その間何度も脱皮しながら大きくなり、最後に地上に出て最後の脱皮を行い羽化していくそうです。
このセミも、長い地中の生活を終えやっと成虫になりました。
そして、短い地上生活を、思いっきり鳴いて生涯を行くのでしょう。
今日のアトリエのセミの合唱の中にも、君の鳴声があると思って聞きますよ。
大きな声でジージー鳴いてくださいな。